2011年7月7日木曜日

福島県の現状(主観)

福島の現状としては、事故の近場まで近寄れないのと、移動の資金が無いことから、福島市など原発以北に関しては、同志からの話を聞いて、皆さんにお伝えしています。

原発以南に関しては基本的に見て周りました。未だ津波被害の復旧すら開始できない薄磯海岸。そして被災範囲が広いことからボランティアの集まる人 数が阪神の際の1/3(これが復旧復興を遅らせているとも言えますが、それ以上に自衛隊さんを引き上げさせるのも早すぎたと思います。まだまだ人手が足り ません)
国が義援金を自分の都合で予算のように配布し、人によってですが、生活保護を受けている中で義援金を「収入」として見なして、その義援金を使い切るまで生活保護を打ち切るという(私から見て)悪事まで起こっています。
義援金は本来善意の募金から成り立っているため、「被災・被害者」には公平に行き渡らなければならないものです。受け取る方の資産や年収とは別だ と思いますが、これを国家予算のように「収入として見なす」行為が行われることから、私の中では義援金を受け取るのを拒んでいる人もいるのかと考えていま す。
※どれくらい前だったか、16%しか配布されていないという事からも想像できました。
義援金は、阪神淡路大震災の教訓を生かし、収入とは見なさないように「厚生労働省」が注意勧告していました。しかし、実際の義援金配布が始まった 時点で、注意勧告していた厚生労働省が、正式に「義援金を収入としてみなすようにしろ」と指示しています。ありえない事ですが事実です。

原発北部に関しては、見ることはできていませんが、以下のような状況が3ヶ月以上続いています
・避難指定濃度の放射線の中を防護なしで通学させられている子供達がいます
・授業中は、外からの放射性物質侵入を避けるため、窓を閉め切っています…が、小中学にはエアコンなどが設置されているところは少なく、つい先日で教室内が32度だったという話を聞いています。
・製造業などが中心なので、業務再開した会社に夫が残り、家族だけ避難するパターンと、夫が家族を避難させず、高放射線の中で同居するパターン。もちろん全員で放射線の無い(今では薄いという表現の方が的確?)ところに移住しているパターンなどがあります、
特に厳しいのは、夫が避難を受け入れず、子供や胎児の被ばくを心配しながら毎日を過ごさないとならないお母さんの心境などですね。ツイッターでは できるだけそういった方に時間が多少かかってでもご主人や親戚を説得して、みんなで避難できるように。どうしてもOUTな場合は子供とお母さんだけでも避 難できるなら避難して欲しいとお伝えしています。
最近になって、やっともの凄く放射線量の高い地域は避難させる事になりましたが、まだまだ本来避難させないとならない地域が多々残っています。

次に農業ですが、様々な報道でご存知だとは思いますが、専業農家などは代々受け継いできた農地で作物を育てるのだけが生きがいというより生活の一 部になっていた方が多いのです。そんな方々は、震災直後から田畑の復旧を行い、作物を育てる準備をしていました。3.12の時点で政府が放射性物質漏れを 隠蔽していたからです。5月に入りやっとそれを認め、作るな!売るな!と言われても、何ヶ月も前から育てていた自分の農作物や、牛、鶏、その他を放置する 事は、自分の子供を放射線の中に置いておくのと同じような気持ちになったと私は感じています。その為、何人もの方が自殺されてしまいました。これからも増 えると思います。

漁業は福島県沖で魚さえ捕らなければ何とかなっていたはずでした。2ヶ月は港とか使い物になりませんでしたから、放射能が漏れている事の発表前後 に港が復旧していたはずです。ですが、これから先、海洋汚染が進むと、太平洋側では魚を捕ることができなくなる可能性もあります。政府は安全だと言ってい ますが、被ばくは少なければ少ないほど、後の身体への異常が出る可能性が減りますので。

福島産というだけで、誰も何も買わなくなりました。工業製品ですら被ばくチェックされます。更にどこのバカかは知りませんが、出荷規制されている ものを暗に他の県産のものと交ぜて出荷したことが暴露され、風評被害に拍車がかかってしまいました→福島県会津地方は山脈の関係もあり、放射能はほとんど 届いていないようです。それでも「福島県産」という事でかなり辛い思いをされているようです。

私は東京から転勤でいわき市に移り住んでいました。そこで震災に遭いましたが、運よく家屋(アパートですが)が損壊することも無く、家族も無事で したが、今回の原発事故のため、一ヶ月ほど東京の父の家に非難していました。原発から30キロ以上離れている自主避難なので、義援金も一時金ももらえませ ん。全て自己負担です。
子供がたまたまどちらの娘も大学と高校に推薦で合格した直後だったため、本人達の強い希望もあり、いわき市に戻し、通学させています。いわき市も 線量が低いとは言え、東京の10倍の濃さがありますが、それでも通いたいようです。妻は看護師をして、いわきの家の生活費を捻出してくれています。
私は会社をリストラされており、身が軽かったため、東京に避難場所を確保し、こちらで仕事を探しています。
年齢と身体障害・精神障害がある事から、なかなか雇ってくれる会社がありません。今日も2社落ちていました。次は3社受けてみます。
身体障害者の年金がありましたので、ある程度の生活はできていたのですが、見直しの際の診断書に不備があり、年金が支払われる等級から支払われな い等級に下げられてしまい、最低年金補償制度による一月4万ちょっとで私は生活しています。今まではいわきの家族に送金していたんですが、できなくなりま した。一縷の望みをかけて、診断書を取り直して、異議申し立てをしているところです。

もっと色々あるのですが、ここまでであまりものボリュームに驚いてしまいました。機会がありましたら、もっと詳しく書かせていただきます。 <(_ _)>

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